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【長岡、中越で銀を売る】銀メダル買取【小千谷で銀を売る】銀杯買取

かんてい局では、銀のお買取もしています!
銀メダルや銀杯は重さがあるのでなかなかのお値段になります。
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今日は銀の歴史について調べてみました!
古代において銀が利用され始めたころは、銀の価値は金よりも高いことが多かったようです。
古代エジプトや古代インドにおいては特にそうであり、古代エジプトにおいては金に銀メッキをした宝飾品も存在していました。
これは、金が自然金としてそのまま産出することが多いのに対し、銀が自然銀として見つかることは非常にまれであったためであるのですが、精錬の方法が向上してくるに従い、銀鉱石からの生産が増加して銀の価値は金に比べ低いものとなりました。とはいえ、銀の産出もいまだ希少なものであり、金と並んで各文明圏において貴重なものとして扱われることに変わりはなかったそうです。

日本最古の銀製品は、北海道の羅臼町と標津町の境付近の植別遺跡から紀元前300年の墓から銀製品が発見されています。

日本においては飛鳥時代まで銀を産出せず、674年の対馬銀山の発見が始まりです。平安時代はほぼ対馬のみの産出でありましたが、戦国時代までには各地に銀山が開発されました。石見銀山へ導入された灰吹法技術と、当時のユーラシア大陸経済が希求していた決済手段用の銀の需要が合致したことにより、日本の産銀量は16世紀半ばに激増しました。

16世紀後半から17世紀前半にかけての日本は東アジア随一の金、銀、銅の採掘地域であり、生糸などの貿易対価として中国への輸出も行っていました。
これらの金属は日本の貿易品として有用だったので、銀山は鎌倉幕府以前から江戸時代の鎖国終了からしばらく、明治に至っても国が直轄する場合が多かったようです。
なかでももっとも産出量が多かったのは島根県大田市の石見銀山であり、大規模に採掘がおこなわれた。この時期の日本の産銀量は世界のおよそ3分の1を占めていたが、そのうちのかなりの部分が石見銀山から産出されていました。
この時期の銀山や関連施設の遺構は、「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界遺産に指定されている。このほかにも、兵庫県の生野銀山などでも大規模に採掘がおこなわれました。その後、日本の銀山は資源枯渇のため、世界の銀産出地から日本の名前は消えてしまいました。

昔は日本は世界有数の銀の産出国だったのですね!!

ちょっと前まで100歳のお祝いで国から銀杯を配っていたり、コインの収集がブームだったこともあるので、もしかしたらあなたのお家に銀が眠っているかもしれませんよ!!

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プラチナか銀かわからない、これって何?といったお品物もかんてい局では見させていただいております。

ぜひ、お持ちください!!

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