~ コラム ~ 店長くぼのノンフィクション出張買取日記 - 第3話:ロレックスと鉄道模型

「過去に戻れるタイムマシーンがあったら」
そう思うことが、時々あります。
今回は、私個人の話です。
過去に私が
「買う側」と「売る側」
両方の立場で経験した出来事をひとつ。
今の自分につながっている、
少し情けなくて、忘れられない話です。
買わなかったロレックス
時は2001年。
当時の私は21歳でした。
社会に出てはいたものの、
お金も時間も余裕はなく、
体力と根拠のない自信だけは人一倍。
学生時代にアルバイトをしていた店のオーナーAさんとは、
辞めたあとも時々食事に行く関係でした。
ある日、Aさんから食事のお誘いの電話がありました。
「じゃあまた今度。
あ、そうだ。突然だけど腕時計いらない?
ロレックスの人気モデルなんだけど。
今度持っていくから、一度見てみてよ。」
正直に言えば、
その時点で私は、もう半分聞き流していました。
腕時計に興味がなかったというより、
「自分には関係のない世界の話」
そう決めつけていたのだと思います。
実際に見せてもらったのは、
ロレックス エクスプローラーⅠ。
Aさんは言いました。
「社会人なら、これくらい持っておいてもいいと思う。」
思っていたより派手さはなく、
無駄のない、洗練されたデザイン。
正直、少しだけ「いいな」と思ったのも事実です。
新品ではないものの、ほぼ未使用。
そして提示された金額は、18万円。
その瞬間、気持ちは一気に引きました。
時計に18万円?
そんなお金があるなら、もっと他のことに使う。
今思えば、
あれは「判断」ではなく、拒否でした。
高い。怖い。自分には早い。
理由を並べて、手を伸ばさなかった。
私はAさんの話を遮るように、
当時夢中だった鉄道模型の話に切り替えました。
自分の安心できる世界に、
逃げ込んだのだと思います。
時間が答えを突きつけてくる
それから時は流れ、
2019年から2020年頃。
ロレックスの相場は、一気に高騰しました。
エクスプローラーⅠは
定価では手に入らない時計となり、
中古市場でも、さらに遠い存在になっていきました。
買取の仕事でロレックスを見るたび、
あの時の一本が、必ず脳裏をよぎります。
18万円。
おそらく当時の定価の半分ほど。
もし買っていたら。
もし今も持っていたら。
価値は、3倍近くになっていたでしょう。
けれど、後悔の本質は金額ではありません。
Aさんが差し出してくれた「価値」を、
理解しようとしなかった自分。
その好意を、軽く流した自分。
そこに気づいた時、
じわじわと情けなさが込み上げてきました。
売らなかった鉄道模型
もうひとつの話です。
当時29歳。
家族ができ、生活が大きく変わり始めた頃でした。
少年時代から集めていた鉄道模型は、DD51、FE81、EF66などの気動車や客車、貨物列車など
いつの間にか200台を超えていました。
他にも、レール、ジオラマ、パーツ。
住んでいた部屋の6畳一室は、
完全に模型のための空間でした。
引っ越しの話が具体的になり、
模型をどうするか考え始めました。
頭ではわかっていました。
いつかは手放さなければならない。
売ることも決めていました。
相場も調べていました。
それでも、決めきれなかったのは
「売るタイミング」でした。
金額の問題ではありません。
失うのが、怖かったのです。
模型そのものではなく、
そこに詰め込んできた時間や気持ち。
それを失ったあとの自分を、想像できなかった。
気づけば、ズルズルと先延ばしにしていました。
決断する前に、終わった
そんなある日、仕事中に電話が鳴りました。
アパートの管理会社からでした。
「上の階で火事がありました。
消し止められましたが、
消火活動の水が下の階に影響している可能性があります。」
家に着くまで、どこか他人事でした。
ボヤで消えた。
大丈夫だろう。
ドアを開けた瞬間、その考えは崩れました。
天井から、濁った水が落ちていました。
ポタ、ポタと、間の抜けた音を立てて。
模型の部屋に入った瞬間、
頭が真っ白になりました。
「ああ、終わったな。」
怒りも、悲しみもありませんでした。
ただ、妙に静かでした。
売らなかった代償
火災保険の手続きをしたことは覚えています。
結果として、
150万円以上かけた模型たちは、
わずかな家財補償で終わりました。
引っ越したあとの荷物は、
驚くほど少なくなりました。
もし、あの時売っていれば。
大切にしてくれる誰かのもとで、
今も元気に走っていたかもしれない。
結果的に、
その無念を抱えたまま、すべてを失いました。
出張買取の現場で思うこと
これは、
「今すぐ売りましょう」という話ではありません。
ただ、物には
価値が残っている時間があります。
迷っている間にも、
時間は静かに進み、
ある日、選択肢ごと消えてしまうこともある。
売る。
売らない。
正解は、人それぞれです。
ただひとつだけ、確かなことがあります。
決断する前に、終わってしまうことがある。
それだけは、身をもって知りました。
だから今、
出張買取でお客様の前に立つ時、
私は決して急かしません。
でも、
「迷っている時間も、価値を削っていることがある」
そのことだけは、正直にお伝えしています。
それでは、また。
誰かの暮らしの中で、
価値がそっと顔を出した日に。



