【世界三大時計ブランド】オーデマ・ピゲ(AUDEMARS PIGUET)の歴史を解説 質屋かんてい局
スイス屈指の名門ブランドであり「世界三大腕時計ブランド」「雲上ブランド」と称され、
パテック・フィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタンとともに
世界最高峰の腕時計・貴金属ブランドとして知られています。
一度もグループ企業に属することなく、創業から140年一族経営を保ち、常識を打ち破る独創的な時計製造を続ける
孤高の独立ブランドでもあります。
時計工房の設立
1875年、スイスはジュラ山脈ジュウ渓谷にあるル・ブラッシュという町の農場の一角にあった建物の屋根裏部屋に
2人の時計師が工房を設立しました。
それが、ジュール・ルイ・オーデマ氏とエドワール・オーギュスト・ピゲ氏です。
オーデマ氏は修業時代から卓越した技術で知れており、工房を設立してからほどなく、多くの依頼が舞い込みます。
それを手伝うかたちで、小学校時代の幼馴染であったピゲ氏が工房に加わります。
時計製造をオーデマ氏が、営業面をピゲ氏が受け持つ形で工房はスタートします。
オーデマ・ピゲの誕生
1881年、二人は一大決心をします。メーカーからの下請けではなく、自社ブランドを設立することにしたのです。
1882年に正式に現在まで続くメゾン「オーデマ・ピゲ」が誕生します。
同年に世界初のコンプリカシオン懐中時計を発表。
1885年にジュネーブ支社を設立。
1889年のパリ万国博覧会でパーペチュアルカレンダー、ミニッツリピーター、ムーンフェイズなどを搭載した
「グランドコンプリカシオン」を発表。
現在でも腕時計に形を変えて継承されています。
1892年に世界初のミニッツリピーターを搭載した腕時計を発表。
1888年にはピゲ氏の尽力でロンドン、パリ、ニューヨーク、ベルリン、ブエノスアイレスに代理店を開局します。
1915年に世界最小のファイブミニッツリピーターを開発するなど多くの発明を行います。
1918年にオーデマ氏が、1919年にピゲ氏が相次いでで他界し
二代目となる、ポール=ルイ・オーデマ氏とポール=エドワール・ピゲ氏が継承します。
順風満帆にみえた経営ですがこの後、第一次世界大戦や世界恐慌など苦しい時代が到来します。
1993年より三代目のジャック=ルイ・オーデマ氏とポーレット・ピゲ氏が継承し
第二次世界大戦後の1946年に世界最薄1.64mmの手巻き腕時計を開発するなど経営面も持ち直します。
ロイヤルオークの誕生
1969年にセイコーは世界初のクオーツ式腕時計「アストロン」を発表します。
後に言う「クオーツショック」の到来です。
そんな苦しい状況下でオーデマ・ピゲは1972年に「ロイヤルオーク」を発表します。
当時の最高経営責任者の一人である「ジョルジュ・ゴレイ」氏は今までは全く違う時計を開発したいと考えます。
そして数々の名作腕時計をデザインしてきた「ジェラルド・ジェンタ」氏にデザインを依頼します。
「スポーティーかつラグジュアリーな時計」というコンセプトで開発が進められ、
ジェンタ氏はイギリスの軍艦「ロイヤルオーク」の船窓のデザインから着想を得て、八角のベゼルをネジ止めする
デザインを提案します。
こうしてラグジュアリーウォッチとしては初となるステンレスを用い、耐久性、防水性に優れ
かつドレススタイルにも対応しうる時計「ロイヤルオーク」が誕生します。
現在流行しているラグジュアリースポーツウォッチの祖であり高級スポーツウォッチの先駆けとして
知られています。
オーデマ・ピゲは「斬新」さと「伝統」の両輪をうまく乗りこなすブランドで、
創業以来からの伝統である複雑機構の開発も続けており、1978年に世界初の自動巻きパーペチュアルカレンダー、
1986年に世界最薄の自動巻きトゥールビヨン、2006年には潤滑油が不要な「オーデマ・ピゲ脱進機」を開発するなど
技術面でも世界の時計製造をリードし続けています。
ぜひ一度ご来店ください
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