日本の質屋はいつ、どのように生まれたのか?質屋の歴史について解説します!
こんにちは、FTC株式会社の古田です。
本日は『日本の質屋の歴史』についてご紹介します。
この記事では日本に質屋がどのようにして生まれたか、現代までどのように変化をしてきたのかをまとめていますので、質屋事業を考えている方はぜひこの記事を読んで、質屋への理解を深めてください!
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私たちは質屋の話をするときに、よく「質屋800年の歴史」という言葉を使います。
その言葉の通り、日本の質屋には800年の歴史があるのです。
日本での質屋の始まり
鎌倉時代に質屋の原型が登場
質屋の原型は鎌倉時代に登場した『土倉(とくら・どそう)』であると言われています。
鎌倉時代初期の歌人・藤原定家の日記にその名前が登場し、その内容によるとかつては酒屋が兼業として行っているものが主だったようです。
ちなみにまだこの時代には政府が発行する貨幣は存在しておらず、当時の中国から大量に入ってきた『宋銭』や物々交換が主流でした。
現代では消費者金融や銀行などお金を借りる手段は様々ありますが、当時はこの戸倉しかなかったそうです。
武士や庶民からの利用が多かったそうですが、その経済面は不安定で、苦しい状態になることも多かったと言われています。
その要因は
〇庶民からの反感を買い、襲われることがあった
〇政府からの徳政令により経営難に陥ることがあった
事が挙げられます。
先も言った通り、主だった利用者は武士や庶民でしたが、財産が集まるので武士や庶民から反感を買うことがありました。
要は「なんで俺は困っているのに、お前のところにはそんなにものがあるんだ!」という妬みですね。
その結果質蔵の打ちこわしなどもあったそうで、店を存続させるのは経済状況以外でも大変な情勢でした。
江戸時代-質屋の基本形が完成-
それから時代は進み、時は江戸時代になってようやく戸倉が定着し、数も一気に増えることになります。
この頃に戸倉という名前が『質屋』に改められました。
質屋という名前が使われ始めたのは江戸時代からだったんですね。
そして質屋の数が一気に増え始めたのは第八代将軍徳川吉宗の時代です。
第五代将軍徳川綱吉の時代に高度経済成長によって経済が上向きになり、いわゆるバブルを迎えますが、徳川吉宗の「享保の改革」が行われ質素倹約の時代となり、買い控えが起こり不況の時代がやってきます。
そしてこの不況の時に質屋の数が一気に増えました。
不況のきっかけは違っても、買い控えがあり、不況になったのは現在のコロナ禍と似ていますね。
やはり昔も不況の時代には質屋が活躍したようです。
明治時代-金融業の分業化-
金融業は明治時代に入ると分業化が進みました。
大きく分けると銀行と質屋ですが、銀行は現在のような事業融資中心に、質屋は質草を預かって小口融資を専門にすることになっていき、それが現代まで続いています。
しかし質屋で預かる商材は変化しており、かつては変質しにくいもの、例えば衣類、鍬などの農具、キセルなどの嗜好品、時代が進めば家電などが主だって取り扱われているものでしたが、現代ではブランド品、小型家電、貴金属など小さく単価が高いものが預けられることが多くなっています。
なぜ質屋の歴史を知る必要があるのか
最後になぜ質屋をやるにあたってこれまでの歴史を学ぶ必要があるのか、を説明します。
どんな事業でもそうですが、何事にも「ルーツ」というものがあります。
そのルーツを紐解くことで、どのような時代背景でどんなことが行われたのか、「何が時代に合っているのか」を知ることができ、それらをもとに「これからどうしていくのか」を考えることができます。
何事も「その時代に合った営業スタイル」であることが重要です。
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